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欲張り隠し味



財布を開いてみても紙幣の一枚もなく、小銭がいくらばかりか畳に転がるだけ。バイトの給料が振り込まれるまであと3日もある。
食費はすでにこの瞬間から困窮が始まっているわけで、なにひとつ無駄遣いはできないし、口に入れられるものは限られてくる。

だけどそのわずか数百円を握りしめて近所のスーパーに出向けば気分はヒッピーハッピーな風来坊、この苦境にたいして自分がどういうふうに対応するのか密かに楽しんでいたりする。
3日分の食材をあれこれと買う贅沢はできない。勝負は一品のみだ。
条件は自分の好物であることとお腹が満たされること、そしてなにより簡単に作れること。


そんなふうに思い巡らしながら選んだ食材はカレールウ。水を足し、火で煮詰めれば3日は楽に持つはずだ。
具の肉は買えそうにない。じゃがいもを一袋手に持ってポケットの小銭を数えれば、あともう少しだけ自由になるお金が残っていた。このお金でニンジンか玉ねぎを買うこともできたが、それじゃあ面白くない。完成したところで物足りなさに拍車がかかるだけに決まっている。

スーパーで悩むのはきらいじゃない。

広くて客も散らばっているからコンビニよりゆったり買い物ができるし、品物が安い。昼時に惣菜のコーナーで待っていれば出来立てのお弁当を買うことだってできる。立ち読みができる雑誌さえあれば半日だっていられる自信がある。


早乙女がニンジンや玉ねぎじゃない何かを探して店内をうろついているとある缶詰を見つけた。
そういえばカレーにトマトを隠し味で入れるといいって聞いたことがある…。値札を見て一番安いトマトの缶詰を探す。
決まりだ。3日も食べ続けるのだから、こいつで美味しくしてやろう。


買い物袋を下げて部屋に帰り、流し台に溜まっていた洗い物を勢いよく片付ける。
どけどけい、カレー様のお通りだ!
そこの鍋! 頭が高いッ。
おい洗剤、そちが働かなくては仕事にならぬ。

料理は楽しい。面倒だけれど。じゃがいもを洗い、ルウを包丁で刻んでいると自然と鼻歌なんか歌っている。もう、まったくお金がないことも忘れて。


湯の中で踊っているじゃがいもに包丁を突き刺し加減を確かめ、溶けやすいように刻んだルウを入れる。焦げないようにお玉で底からかき混ぜながらとろとろになるまで煮詰める。
ここで初めての味見。

最後にいよいよトマト缶の登場だ。
さーてどんな味になるか楽しみだ、というところで肝心の缶切りが見当たらない。冷蔵庫の裏に落ちているのを発見するのに手間取り、少しいらいらしてしまう。
ちいっ、水を差しやがって!

ギコギコと蓋を切るのももどかしく、やがて現れる濃く真っ赤な缶詰の中身の登場に焦れたのは空腹のせいだけじゃない。
これくらいは余裕だろとどぼどぼ缶詰を入れれば、鍋で煮ているカレーの表面が腕の動きにあわせてのの字に赤くなる。
よおくかき回し、ここで二度目の味見。

す…酸っぱい。

なんてこった入れすぎた。お玉でかき混ぜるごとにカレーの色はますます赤くなる。
おそるおそるもう一度味をみると、さっきよりずっと酸っぱくなってる。もうカレーじゃない。酸っぱ汁だ。
これをご飯にかけて3日食べる? 冗談じゃないって!
猫に追い詰められたネズミのような心境で冷蔵庫を開ける。牛乳だ。カレーには牛乳が合うらしいじゃないか…!

祈りながら鍋に牛乳を加えた。
いいぞいいぞ、トマトの匂いがみるみる消えていく。どれ、味見だ。

ああ! 味がしないっ。

トマトの酸味と一緒にカレーの風味まで消えてなくなっちまった…!
つーかなにこれ? 本当に不味いんですけど。

もう食べるものがないんだよ、頼むよカリー。なんとか救いがないものか藁をもつかむ思いで炊き立てのご飯にかけて食べてみる。

おええええっまぢい(涙)


失敗だ…もう手がつけられねえ。どうすんだこの出来立て。
明日になればひょっとしたら食べられるようになっているかもしれんと蓋をし、それを忌々しく眺めていたら、この日の食事は諦めることができた。

次の日、冷めて固まっている鍋の赤いやつをスプーンですくって口に入れてみる。
一晩寝かしたせいで素材が充分に調和されており、それはまさに豆腐の奥行き。舌のいろんなところに感覚を研ぎ澄ましたらどうにか味わえる程度の味気なさ。カレーの匂いなんかまったくしません。牛乳の一人勝ち。ご飯にかけても不味い。

隠し味が主張しちゃったらいけない。
やっぱ隠れてなきゃ。


やばい鍋の中で力なく溶けかかっているじゃがいもを取り出しフライパンで塩と炒める。
今日と明日はこれでしのごう、と心に決めたのは梅雨が明けたばかりの遠い夏の朝。



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