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>入居後編>蛇口から水漏れし始めた>深海ギョ ぴたーん |
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中学生の時F‐1グランプリにハマっていた。 家人が寝静まった深夜に布団から抜け出して階段を降り、真っ暗な居間のテレビの電源を入れる。ぼうっと画面が白く浮き出ると急いでボリュームを下としてチャンネルを合わせる。暗がりだと目がちかちかするし怖いので本当は部屋の明かりを点けたい。だけど万が一誰かがトイレ等に起きてきたらいけないのでテレビの明りだけで我慢する。 家人は全員22時前には寝てしまう。 深夜の0時過ぎに、しかも2時3時くらいまで子供が起きているなんて、早乙女の小さな町では不良の行いだった。 外を見ても真っ暗。うちだけ煌々と電気が点いていたりしたら近所の人は何事かと訝しげに思うに決まっていた。 誰かの気配を感じてもテレビだけだったらすぐに消せる。あとは真っ暗な中でしばらく息を潜めていればいい。 当時、深夜のF-1観戦は誰にもいえない自分ひとりの秘密行事だった。 テレビの中にはマンセルやセナやプロストがいた。 マクラーレンがとにかく速くてそれをフェラーリやウイリアムズなどがコンマゼロゼロ何秒かずつじわじわと追い上げる。実況は古舘伊知郎が担当することが多かった。かれは「音速の貴公子」だとか「無冠の帝王」などのキャッチフレーズを連呼して勝負をスリリングに煽るのが上手だった。 レースが盛り上がってくると棚に隠しておいたカールにたけのこの里、それから冷蔵庫に冷やしておいたファンタグレープかメローイエローを取り出して宴を始める。ポリポリかじってぐびりとやる。しばらくすると炭酸が涙腺を駆け上がってげっぷと一緒に排出される。テレビの中には滲んだフォーミュラカー。 年に十数回味わえるこの一時が幸福でしょうがなかった。 レースが終わり、表彰台でセナが(アイルトン・セナは本当に強かった)お祝いのシャンパンをぶちまけ、一段下のプロストが仏頂面で観衆に手を振り、マンセルのリタイヤした時の映像を再び流したら番組も役目を終える。 祭りの後はいつも心寂しい。テレビを消すと目の前は闇に包まれ、目を開けているのか瞑っているのか忘れるほど。しん、と耳鳴りがしそうなくらいの静寂の中、消したばかりのテレビがみしりと軋む。畳をゆっくり踏みしめる音がする。だけど足もとは暗くて見えない。勝手知ったる我が家といえど、深い闇と静寂が心を不安にさせる。重い重い深夜の刻。なにかに後ろから見られてる気がする。自分だけ見えない、いや、見ちゃいけないものなんだ。闇が怖い。早く布団の敷いてある部屋に戻らなければ。 階段口に差し掛かったとき、台所の蛇口から水が一滴漏れた。その冷たく響いた音に思わずドキリとしてからだを強張らせる。 闇と静寂と水の音。どうしてもよからぬ想像が脳裏に張り付いて剥がれない。 呼吸を止めていやな幻影から逃れるように部屋のドアを閉めると心底ほっとした。なんの根拠もないが自分の匂いが染み付いたこの部屋だけは聖域だと決めていた。そうじゃなくてはゆっくり眠ることもできやしないから。 早乙女の小心者ぶりは子供のころから少しもましになっていない。 だけど今は酒が飲める。怖くて泣き出したいことや傷ついて立ち上がれないときに酒の力を借りる。思考が止まらなくなったとき、酒はその角を削りやがて肉体を休息に導く。もうお化けは怖くない。もっと恐ろしいものを知ってしまった。 大人になった今、夜中に偶然F-1グランプリを見つけてもあの日のように胸がときめくことはない。 早乙女はたぶんフォーミュラカーのまっ平らなタイヤに浪漫を感じていたのだと思う。熱で溶け、走りに痛んだボロボロのオンロードタイヤ。 それがF-1の規則が変わって現在のような溝付きタイヤをマシンが履くようになったとたん見るのをやめてしまった。なんというかF-1というものがヤワになった気がした。マシンの性能は昔より断然上がっているだろうけれど、もうそこに色気を感じることはない。 それはとても淋しい。 前へ← メニュー 次へ |