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>お部屋編>借りたいお部屋を申し込む>夢の入り口 手が震えるわけ |
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二十歳を少し過ぎたばかりのおとなしく控えめな印象がするお客さんでした。案内の道中もとても静かでしたし、早乙女と目を合わせることもあまりしませんでした。 彼女の名前は裕子さんといって、朝早く遠方からひとりで電車を乗り継いでやって来たそうです。 裕子さんは机に置かれた申込用紙の記入欄の前で顔を伏せ、非常に緊張しているように見えました。 これから初めての一人暮らしを控えているお客さんなら少なからず興奮していてもおかしくはないのですが、裕子さんの場合そういう多く見られるポジティブなドキドキとはちょっと違っていて、なんというか、どちらかというと切羽詰った感じの固さだったものですから早乙女は気になってしまい、一旦席を外して温かいコーヒーを丸いつるつるのカップに入れて戻ると、それを彼女の横に置きました。 なにか困ってますか? と早乙女が尋ねると、裕子さんは顔を上げて言い辛そうにもじもじし始め、さんざん躊躇いながら「やっぱり仕事決めてないとだめですか…?」と小さな口を開きました。 時期が時期だったので、早乙女はてっきり学通か就職で一人暮らしを始めるのかとばかり思い込んでいたものですから、楽観していた分、彼女の問いかけに意表を突かれました。 裕子さんは部屋を決めてからこちらでアルバイトをして暮らすつもりでいました。 現在は地元で日々親の家業を手伝っているそうなのですが、裕子さんにしてみればそれは本意ではなくて、いつかは自分のために時間を使いたいと常々考えていたらしいのです。 そんな悩みを抱えた裕子さんが今回意を決してこの街にやってきたことを知った早乙女は、傍らで湯気を燻らせているコーヒーが「美味しいから、冷めてしまわないうちに」飲むようにと促しました。 彼女が借りようとしているお部屋はそれほど賃料が高いわけではなく、アルバイトを怠けなければたぶん贅沢はできないにしてもそれなりに暮らしていけると思われます。でも無職には違いないので、裕子さんにお部屋を貸してあげられるかどうかは連帯保証人にかかっているのでした。 「親は…」と一度いってから訂正し、「父は、私が家を出ることにあまり賛成してくれていないんです」と裕子さんはいいました。 「父は無職者の私に部屋を貸してくれるところがあるのなら連帯保証人になってやる。といってはいるんですけど、最初からどうせ無理だって決め付けている感じです…。私が店の手伝いをやめると人を雇わなくてはならなくなるので、きっとおもしろくないんだと思います」 訥々とした話を聞きながら早乙女は過去の自分と裕子さんをだぶらせていました。そしてなんとしてでもしがらみに塗れてしまった彼女に念願を果たせさせてあげたいと強く思い始めるのでした。 「だいじょうぶ。うちはお父さんが連帯保証人になってくれるなら、あなたへこのお部屋を貸してあげられるように大家さんに話してみることができますよ」と早乙女がいうと、裕子さんは信じられないといった様子で目を輝かせ、憑き物まで落ちていくように表情を和ませました。 裕子さんは時間をかけながらゆっくりと申し込み用紙を埋めていきました。 「お父さんの収入がわからないから」といってその場から携帯電話でお母さんに連絡を取ったときも本当に嬉しそうに笑い、話していました。 あのね、私いま不動産屋さんにいるんだよ − 裕子さんがよろしくお願いします、と丁寧なお辞儀までして帰った後、早乙女は冷たいカフェオレを自分のコップにたっぷり注いで、それを事務所の電話を眺めながら少しずつ飲みました。 これから裕子さんが申し込んだアパートの大家さんに電話をするのです。ここで断られないようにするにはどのように話したらいいかを考えていました。「若い女性のお客さんです…いいえ、学生ではありません…はい、こちらでアルバイトをするみたいです…お父さんはお蕎麦屋さんをやっていて人手がどうたら…」むう、これじゃきっと断るだろうなあ大家さん。 いろいろ考えましたが、早乙女は裕子さんの真面目な人柄をアピールすることにしました。彼女が記入した申し込み用紙の文字は大きくて、しかも教科書に忠実に書かれており、感心するくらい裕子さんの素直な性格が滲み出ていました。これをさっそくFAX.してみよう、と思たのです。 大家さんに嘘をつくことはしませんが、申し込まれたかたのアピールできる点はやっぱり伝えたいんです。 よし、と腹を決めて受話器を耳に当てた早乙女は申し込みがあったことを大家さんに報告しました。 すると大家さん、先にFAXした用紙をすでに手に持っていたみたいで、「うん、うん。わかりましたよ。まあ、親御さんがちゃんと面倒を見てくれるならかまわんでしょ。なんだかんだいったって娘ですもの、可愛いですよ。それから、無職のことだけれども、本人に収入が見込めないという点では学生も一緒だし、どうぞ進めてください」といい、さらに「それにしても真っ直ぐな字だねえ」と上機嫌で返事をくれたのでした。 電話を終えた後、早乙女の手はぐっしょり汗を掻いていました。ああ、いちばん緊張していたのは俺だったのかもしれない、と思ったら可笑しくて、また空になったカフェオレを傾けました。 前へ← メニュー 次へ |