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>入居後編>食器はたくさん欲しいけど>男気ラーメン1話 口開け |
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世の中にははっと驚いてしまうようなラーメンが存在するものです。 世間には一体どれだけ同じ名前のラーメンがあるのかは知りませんが、早乙女が初めて男気ラーメンというものを食べたのは、まだまだ一人暮らしを始めたばかりで駆け出しのフリーター生活をしながら手探りで右往左往しているさなか、ふらりと繁華街の裏通り、小汚い雑居ビルの中でありました。 そのラーメン屋は地下にあり、通りからコンクリの階段を降りていくのですが、照明が少なくて薄暗く、うっかりサングラスなぞをしたまま行ったら転げ落ちそう。反面、控えめで目立たない看板が若者の探索心をぎゅんぎゅん刺激するものですから、ちょうど昼時、たまたま通りかかった早乙女は銀行から下ろしたばかりのバイト代を握りしめて吸い込まれるように入って行きました。 店内はカウンターに椅子が10個ばかり置かれていて、その中に歯痛を我慢している関根勤のような男と「イラッシャーイマセ〜」と元気の良い、フィリピンかタイの方でしょうけども、やたら南国情緒を漂わせる奥さんと思しき女性がおりました。 他に客の姿はなく、「また口開けか」と思いつついちばん端っこの席に座ると、古椅子がカツンとわずかに傾くのでした。 (また口開けか ‐ 早乙女は不思議と外食先などでその日の一番客になってしまうことが多く、当時その因縁に薄々気がつき始めていました) カウンターの油が染み込んだ板上に立てかけられたメニューは、右からしょうゆラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、チャーシューメン、それからチャーハン、ギョーザといったごくごくスタンダードな品ばかりで、淡い期待も冒険気分もすっかり拍子抜けしてしまいそうだったのですが、いちばん左端にマジックで付け足された「男気ラーメン」という不器用な文字が。 しかも何故かすごく安い。値段はしょうゆラーメンの約半分といったところ。早乙女はとたんに緊張しつつも、その謎に満ちたラーメンをお冷をもってきた奥さんに注文したのでありました。 それにしても日本より赤道に近い場所に位置するお国の方というのは、日本人がまずできない表情で微笑んだりします。特にこの女性の明るい中にも慈悲に満ちた笑みはまるで優しさでできているよう。心にぽっと花が咲くとでもいいましょうか、売り上げに駆けずり回る社員と職業意識の芽生えないパートアルバイトで埋め尽くされた日本の悩める多くのチェーン店がきっと手本にしたい、そんふうに思うであろう接しかたなのでした。誰もが薄々気がついているように、本当に温かい笑みや態度というものは、やはりマニュアルで強制したところでできるものではないのでありましょう。 ラーメンを待っている間に、ガス業者のツナギを着た男たちとスポーツ新聞を小脇に抱えたおじさんが入ってきました。おじさんの方はこの店の常連らしい振る舞いで、奥さんと二言三言談笑してからよっこらしょと席につきました。 店主は表情を変えず口を真っ直ぐ結んだままガシガシ鉄の鍋を振り、ちゃっちゃっと麺を湯切りました。無骨なまでに黙々と働くその姿をカミナリ雲に例えるなら、奥さんの方はさながら情熱的な太陽でして、お客を照らすお天道さまの後ろでカミナリさまが稲妻を轟かすように腕を奮っている。感心するくらいお互いが得意な方面で活き活きと仕事をしているのであります。羨ましい…早乙女は心の中でそう呟きました。 年をとればたしかに若さは尊いものに見えるのでしょうけども、当時の早乙女は若さとは不自由で歯痒いものだと思っておりましたから。 前へ← メニュー →続き |