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>お部屋編>「日が良い」とは>シュークリーム日和1話 ピアス |
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早乙女が勤める不動産事務所の窮屈な給湯室の隅っこにはお客さんがうっかり置いていった忘れ物をひとまず保管しておくスペースがあって、そこにひっそりとその傘は立てかけてありました。 白のナイロン地に赤い水玉模様で、まだそれほど使い込まれていなさそうな艶を保っていました。 この傘の持ち主はぶかぶかのキャラクターTシャツにデニム地のホットパンツというラフな格好で、小雨が降り始めた蒸し暑い八月の昼に一人で店にやってきました。傘をたたみ中に入るとちょこんと頭を下げて笑み、イスに座りました。 現在一人暮らしをしながら情報処理の専門学校に通っているのだけれど、荷物が増えて今のアパートでは手狭なため新しい引越し先を探すのだと彼女は欧米人のような身振り手振りで説明してくれました。 早乙女はそのテンションにやや戸惑いつつ希望の賃料を訊き、間取りが広めの物件資料をいくつか選んで彼女に見せました。彼女はだれかに聞かせるというよりは自分に尋ねるような調子で「うーん、狭いかなぁ」だとか「布団はこうやって敷こう」などと喋りながらいくつもの間取図面を楽しそうにとっかえひっかえしていました。 そして、見たい物件はあるかと尋ねたら「とりあえず全部」といって、また笑むのでした。 車の冷房が効くまでのあいだ彼女は早乙女の隣りで窓を開け、顔を風にあてていました。 「雨が吹き込んでこない?」と声をかけようとしましたが、大きなTシャツをひっかけた小さな肩の上でさらさらと涼しげに靡く明るく白っちゃけた金髪を見ていたら、そんな質問をすることが急に野暮ったく思われて口をつぐみました。やっぱり車の冷房がすばやく効かないのがわるいのです。 目的の物件に着くと、大雑把そうな印象と裏腹に彼女は意外なほど時間をかけて部屋の感触を確かめていました。 バルコニーのデザインが可愛いといっては外に身を乗り出し、壁紙の模様が好みじゃないといってはいちいち早乙女に「どうしたらいい?」と訊いたり。 そんな調子で内見の数を重ねるたび彼女は一層興奮し、また早乙女もそんな空気に呑まれていくように気分が高揚していきました。自分でも驚くくらい心がリラックスしていましたし、いつもよりずっと上手に初対面のひとと話すことができていました。 半分ほど見て回った後、早乙女は昼食を取り損ねたことに気がつきました。このペースで行ったら店に戻る頃にはおやつの時間になってしまうと思われました。彼女も昼を食べていない様子だったので、早乙女がそれに触れると「そういえばお腹すいた」といって両方の足を放り出しました。すらっとした白い足には不釣合いなごついスニーカーの紐が擦れて先っちょがほつれかけていました。 早乙女は勤め先の近くを通過するときに行きつけの洋菓子屋の前に車を停めました。彼女を待たせて外に出たら、雨はあいかわらずしとしとと街を包み込むように優しく降り注いでいました。 大人の拳くらいある大きなシュークリームを早乙女は口に詰め込み再びギアを入れて走り出しました。傍らの彼女にうまいかと訊くと、「おいひいです…」といいながらもごもごと必死に上を向いてクリームがこぼれないように食べている最中でした。 「このシュークリームはミユフィーラン・シュー・ザシュモメルトンといって、普通の奴より濃厚なミルクを多く使って作られているんだよ」だからすごく美味しいしあのお店でしか食べられないとっておきの奴なんだと、彼女に説明しました。こんなことをしたのはあなたが初めてだという言葉は飲み込んで。 「ミル? ミユフィー…?」いいかけたまま、彼女はひたすら食べることに専念しました。 全部食べ終えたころ、早乙女はちょっと気になっていたことを喋りだしていました。 「べろ、なにか光ってるみたい」 すると彼女は鼻を膨らませ、恥ずかしそうに笑って舌を出しました。 彼女の舌の真ん中には小指の爪ほどの大きな銀色のピアスが差し込まれていたのでした。 痛くないかと訊くと、彼女は首を振り「れんれん」といって舌を引っ込めました。 「わたし、学校でバンドやっててグリーンデイとかジッタリンジンとか歌ってるんですよ」 「ボーカルなの?」 「はいっ」 そういうと「えへへー」と照れて、「でも、歌がうまいからじゃなくて、楽器ができないだけなんですよ」と説明するのでした。 早乙女は彼女が舌を出して青いカナリアを歌う姿を想像しました。なるほど、なかなかわるくないじゃないかと思いました。 物件をすべて見終わり二人で店に戻るころにはもう雨はあがっていて、雲の隙間から柔らかな陽光が濡れたアスファルトに再び影を作り出そうとしていました。 「夏の雨上がりって最高!」彼女は車から降りるなりそう叫びました。 前へ← メニュー →続き |