実践!一人暮らし-あたる生活 お部屋編>ベランダとバルコニー>ベランダ黄昏

紅のカラスは何処へ



四階のベランダから身を乗り出すように下を覗き込むと右から左、あるいは左から右へ止むことなく無数の車の屋根が道路を往来しているのを見ることができます。

これだけ多く行き交う車の中にはそれぞれの人生が詰まっていて、それぞれが主役である人生を背負っているわけで、一言で世の中といってもそれを営む人々の数だけ見え方も置かれた場所も違うだろうし、たとえば早乙女なんかは一介の世間の端くれに過ぎないように、誰のものかわからない混沌とした世の中っていうものをいつか今と違う別のところからゆるりと見てみたい、そんなことを頭の中で足踏みするようにぼんやり考えながら妻のいない間延びした休日に心を泳がせてみるのもどちらかといえば好きですし、昔暮らしていたアパートのベランダでもよくこんな風なことをしていたなと思い出しては、ああ変わってないと溜息をついてみたりするのでした。

ベランダから街の風景を眺めていると時々肝を冷やすような追突事故の現場を目の当たりにしてしまうことがあります。また時には後ろから迫る救急車に気づくとモーゼの奇跡かとばかりに左右に割れて道を譲る「極悪」という旗を靡かせた暴走族の集団に心癒されたりもするのですが、そんなことが目の前で起こるたびに、ますます世の中が淡白に色褪せていく気がするのでした。


その気分というものをもう少し掘り下げて説明すると、「たぶん、何が起こっても不思議じゃないし、何が起こってもたいした事じゃない」という、客観的に見た世間のワンピースにすぎない己に対してのメッセージのようなものなのかもしれません。
人が感情をシャットアウトできればきっと生きるのは容易いですし自ら命を絶つこともなくなるでしょうけども、しかしそれではたとえ百年生きようとも乳児の一日の喜びに及ばず、そうやって考えてみたら苦痛に満ちた人生であっても否定することはかなわないのだろうし、疲れ果て背負った荷物に押し潰されそうになった時、「初めから決まってたんだ」と思うことによって炎天下の束の間、小さな木陰で汗を拭きまた歩き始めることが早乙女はできるのかもしれません。

十代の中学生や高校生が自ら命を絶ったニュースを見るたび自殺するために生まれてきた人はひとりもいないはずと改めて思い、死のうと真剣に思ったことのない自分のこれまでの生き様と照らし合わせて、「一年後に俺が自殺する可能性だって決してゼロではないんだろう」なんて考えたりするのですが、逆に「あんたの命はあと一年です」などと宣告されてしまうと死んでしまう前にやっておきたいことがたちまち10個くらい浮かぶので、この、自殺をした子たちも「死ぬのは一年後にしよう」と決めていたら、ひょっとして絶望が絶望でなくなっていたのかもしれないななんて空想してしまいますが、生の崖っぷちで真っ暗な岩場を見下ろしている人は、今飛び込む事に意味がある彼にしか知る由のない覚悟があっての事なのだろうし、きっと軽率に命を粗末にしているといった軽率な発言は的外れなんじゃないかと、同じ世間の片隅に生存するものとして少しだけ心の中で反抗してみたりするのでした。


人には必ず終焉があります。その死を自ら目の前に突きつけることによって湧き上がる火事場の馬鹿力はあなたの生命力だと思います。

あと一年の命ですよと医者に言われたら、あなたは今何を始めますか?


電線から飛び立ったカラスは優雅に羽ばたきながら真っ赤な夕日の黒い点となり、遠ざかっていきました。
それを見届けて部屋のなかに戻ると飼い猫のポンが腹を空かせて足もとで鳴き、ごろんと寝転んで大きなあくびをしました。

早乙女がビールを飲みながらテレビを見ていると妻がスーパーの袋を持って帰宅し、「今日は何をしていたの?」と尋ねるので、「特に。何も」と答えると妻はベランダに出て洗濯を始めました。
そもそも今日早乙女がベランダにいたわけは妻に洗濯を頼まれていたからに他ならず、それを忘れたまますっかり時間を潰してしまったのです。



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