実践!一人暮らし-あたる生活 >お部屋編>求む!連帯保証人>涙の手のひら返し3話

焦燥と濁り水



自らの足もとに手と額をついた親ほど年の離れている二人の男女を見て、青年は表情を強張らせました。
その動揺ははたから見ていても明らかで、青年はばつがわるそうに思わず立ち上がると言葉を探せぬまま散々目のやり場に迷ったあげく、なんとかご夫婦の背中を見下ろしました。


「俊郎君、どうか頼みます…」ご主人が苦しそうに声を絞り出しました。「絶対に迷惑はかけませんので、頼みます…」
ご主人と奥さんはまるでもぐらが地面に穴を掘るような、小さくなった体をさらに丸めてひたすら何度もお願いします、頼みます、と青年の靴に向けて必死にくり返しました。

悲壮。まさしくそんな光景でした。
なにしろ早急に新しい住まいを確保しなくてはならない事情がこのご夫婦家族にはあるのです。追い詰められ、そこに計り知れない覚悟があっても不思議ではないのでした。


そんな重く異様ともいえる空気にすっかり呑まれた青年は潔くけりをつける勇気が持てないまま時を忘れて立ち尽くしていました。かれの心中はいまきっと大きく揺さぶられているはずです。床に伏した小さな中年夫婦の姿を見て、なおそれを跳ね除けるにはそうとうなパワーが必要でしょうし、それでも顔を歪めながらも何度か口を開きかけたのですが、その度に肝心な言葉は唸り声か溜息に変わっていきました。

「俊郎君、私たちを助けてください…」
「俊郎君、どうかお願いします…お願いします」
じわりじわりとたっぷり時間をかけながらシーソーの比重は右から左へとやがて着実に移動していく様が、傍観に徹していた早乙女にもはっきりとわかりました。−



こうして熱心な説得の末ご夫婦家族は甥を連帯保証人として立たせ、後に希望通りの物件を借りられることとなりました。
ところが苦労してやっと辿り着いたご入居だったにもかかわらず月日が10ヶ月も流れた頃、心配された賃料の支払いが次第に滞りがちになっていったのです。


そんな、燻ぶり出した借主と連帯保証人に遅れている賃料の催促をすることが早乙女の毎月の決まりごとみたいになってから数ヵ月後、とうとうあのご夫婦家族が行方をくらますという事件が起きてしまいました。

青くなったのは連帯保証人の青年です。そもそもまったく乗り気ではなかったのにご夫婦のひたむきな気持ちに折れる形で引き受けたのですから、この裏切りによるダメージは計り知れないものがあるでしょう。


一家が去った後の借家には高価なものこそ見当たりませんでしたけれど、そのまま充分生活ができるだけの家具や衣類が残されていました。こたつの上には食べかけのみかんが置いてありましたし、湯船には水が張ってありました。床が腐ってしまって大きくたわむ洗面所には女性用の櫛が長い髪を巻きつけたまま落ちていました。

まるで、中で生活をしていた人間のみがたった今忽然と姿を消したかのような強烈な生活痕がそこには散りばめられていたのです。


青年は充血した目に涙を堪えることができずひたすら荒れた家の中を睨みつけ、自分の取り返しのつかない過ちを噛み締めている様子でした。
最後に泣いたかれに待ち受けていたのは後始末にかかる大家さんへの多額な金銭的償いのほか、自責と失望感に満ちたこの後の穏やかでない日々だったはずです。



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