| >プロフィール>昔その8 さびを落とす |
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降り立った駅から歩いて5分程度のところにその居酒屋はありました。 入り口を開けて店内を見回すとカウンター8席、六畳ほどのお座敷が3部屋のこじんまりとした造りになっていました。まだ時間が早いためか、お客さんはいない様子でした。 だれの姿もないので早乙女が「すみませーん」と奥に呼びかけると、ルパンのように長身で細身の男が「あい、あい」とカウンターに出てきました。短髪で細い目をした50過ぎのこのひとが、店のマスターでした。 マスターは見かけ通りこの界隈ではとっても「元気」な人物で、思わず息を呑むような武勇伝がいくつもあるひとだったのですが、頭に血が昇ることがなければさっぱりした気風のいい性格でした。ほかに中国人留学生のアルバイト李さん、そしてマスターの奥さんもおり、いままでこの3人で店をまわしていたそうです。 早乙女は店がはねたあと、一番奥のお座敷に布団をしいて寝させてもらいました。テレビとエアコンもついていましたが、なんとなく気がひけたので使うことはほとんどありませんでした。そのかわりここでは小遣いにしてはすこし多すぎるくらいの給料をもらっていたので、小さなCDラジカセを買い、寮を出るとき持ってきたCDを聴きながら焼酎を飲む。そんなふうに夜の一人の時間を過していました。 決して恵まれた生活とはいえないかもしれないけど、早乙女はそれなりに楽しく充実していました。給料をもらえる仕事をして夜は一人部屋で寝るという、一見あたりまえのような生活がたまらなくうれしかったのです。 ただちょっとした問題もありました。夜に飲む酒の量が日増しに増えていったのです。以前に毎晩焼酎一本を飲み干していた時期もありましたが、また徐々にそれに近づきつつあったのでした。 飲めば飲むほどテンションが上がり、「もうだめ・・・」となって酔いつぶれて眠る日々でした。それはそれで幸せな気分でしたが、朝目覚めた時の虚しさと倦怠感はいつまでたっても馴れませんでした。 店のメニューは焼き物と刺身がメインで、鮨屋にくらべればお客さんも料理よりお酒にお金を使う割合が当然大きく、酔った箸で料理をつまむものですから「味も何も」で、造るほうとしては気楽というか寂しいというか「むう、おれがあこがれたツケ場はこんなはずじゃないのだ・・・」なんて小難しいことを考えたこともありました(笑) しかし好む好まざるにかかわらず早乙女はまた包丁を磨くのでした。 余談ですが、ここのマスターはスッポンが大好きで、よく鍋やらスープにして食べていました。早乙女はスッポンなど一度も食べたことがなく、初めてスッポンの仕込みを手伝ったときには、首を落とした胴体から滴り落ちる生き血をグラスに受け止め、飲み干すという今思い出しても脂汗の出るマスターの行為に胃の中のものを戻しそうになったものです。 スッポンの仕込みは本当にいままでのどんなものよりも精神的にハードなものでした。 まず生きているスッポンに割り箸を噛ませて首をびよーんと伸ばし、包丁でズバッと叩き落とす。胴体はまだ生きてます(汗)頭は衝撃で割り箸をくわえたまま、まな板から転げ落ち、早乙女の足もとで何かの罰みたいに横たわっていました。まるでへびです。 次に胴体と甲羅のあいだに包丁を入れてごりごりと切り離すんです。このへんでもう生臭くて息を止めていました。やがて血だらけのまな板の上でひん剥かれた胴体の中心に、小さな心臓がひくひくと動いているのを早乙女は見てしまうのですが、ここから後はもう本当に気分が滅入ってしまってあまり憶えていません;; マスターの包丁を振り下ろす音を頭の隅でききながら、無残な形に切り落とされていくスッポンの凄惨な現場を想像しほとほと疲れ果ててしまいました。 その日のまかないはもちろん調理したてのスッポンだったのですが、マスターがうまそうに食す傍ら、早乙女は一度もそれに手を伸ばすことはありませんでした。マスターはがはがはと、いつものしわがれた声で笑っていましたが、このときの衝撃的な記憶がトラウマとなり、未だどうしてもスッポンを食べる気にはならないのです^^; → 続き |
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